東京鍼科学研究会
平方龍男は、明治22年2月15日に茨城県水戸市に生まれた。数え年4歳の時、 串柿を持ったまま転んで、串で目をついて、片方の目が見えなくなった。その後、 小学校高学年の時、良い方の目に野球のボールが当たって、そちらも悪くした。
小学校を卒業した龍男は、村田先生という鍼師のところに内弟子に入り、鍼 灸を学んだ。ある時、ひどい片頭痛を起こした。村田先生が鍼をしてくださって、 ピタッと治ったので、鍼とはこのように効かなければならないものなのだと覚 えた。
明治38年の春、龍男は東京帝国大学病院眼科で目の手術を受けた。しかし、 手術は失敗して失明を宣告された。その時、龍男は「不治の病の宣告を受けた 人こそ、可哀想だ。私は、そういう人の友となろう。鍼をもって、治してあげ るのだ。」という決意を持たされた。
同年9月、龍男は東京盲唖学校に入学して、奥村三策先生と出会い、鍼の心を 教えられた。即ち、「鍼は心なり。また、鍼は神(精神)なり。」
当時、鍼だけでやっていこうという者は誰もいなかったが、その中で龍男は 一人、鍼をもって立つことを決心した。
そんな折、龍男は、内村鑑三先生の弟子であり、また二千年前のハスの種を 開花させたことで有名な大賀一郎先生(当時東大生)と運命的な出会いをして 、キリスト教を知らされた。そして、龍男はクリスチャンとなった。
その後、水戸盲学校の教師となっていた龍男は、英国から帰国して盲教育の 理想を説いていた中村京太郎氏に出会い、その説に共鳴した。そして大正4年の 9月、中村氏に呼ばれて東京本郷の同愛訓盲院の教師となった。
その教師時代に、龍男の許に慢性腎炎の患者が偶然にも集まってきた。慢性 腎炎の治療は今日でも難しいのだが、その当時なかなか治らなかった。御茶ノ 水から水道橋への外堀を歩きながら、龍男は「神様、私の名誉の為でも欲の為 でもありません。この患者たちが可哀想です。どうぞ、治療の出来るようにお 助けください。」と、うめくように祈った。そして、翌日慢性腎炎の患者に特 有の触診所見があるのを認めて、これに施鍼したところ、尿中蛋白が3分の1に 減少した。これが、平方鍼法の特徴の一つである慢性炎症の治療の初めであった。
大正7年、同愛訓盲院を辞職、志を同じくする友人たちと私立日本盲学校を設 立すべく活動したが、「恵みを限るな」とのご啓示を与えられ、その計画を取 り止めた。
時を経て、当時治療にみえていた柳田国男先生のお勧めもあって、社会福祉 法人の認可を受けて、信愛福祉協会が誕生した。昭和29年のことであった。
以来、求めて来た多くの視覚障害者に対して、鍼の技術の伝授とキリスト教 の伝道が行われてきた。
そして、龍男は昭和51年1月27日に召天した。その後も、信愛福祉協会は、信 愛ホームの愛称のもと、今日まで歩み続けている。
私は失明が動機となって、クリスチャンになったので、やはり、全て神様に お祈りして上より力を頂戴して、鍼をするのが習慣のようになってしまった。 ある時は一週間の断食祈祷をして、神様から癒しの御力を賜って悩める人の慰 め手となりたいとしたこともある。重病人で、どうしても自分の力では駄目だ と思う時、一時間二時間祈って力を得るまで求めて「よし!」という感動を与 えられて出て行って不思議な癒しを得ることは稀でない。そうして得た事実を 科学的に究明して原理を会得して、鍼の研究を進めてきたのである。
こういうことを正直に話しすると、あるいは笑う人も数多いであろうけれども、 これが真実なのである。
私は自分が失明してみて、人生金を得て、栄誉を得てみて、それが何であるか。 それよりはるかに高貴で、しかも永遠の価値ある物は人の真の愛情であると、 つくづく考えるのである。
不治の病に悩む人ほど、哀れなものはない。また、失明して鍼の技術を得よ うとして求めて、これを得られないで苦しむ人ほど不幸せはない。この二種類 の人に私は少なくとも、ある賜物を贈り得る。然り、確かに与えることが出来る。 これが、私の使命であると信じての私の鍼の技である。断食も祈祷も懸命なる 精進も、ただこれが為である。今回の鍼科学研究所の設立もその手段である。 売名の為ではない。利潤追求の為では、むろんない。
敗戦日本において、何より必要欠くべからざるものは、人の真実と愛情である。 然り、真の神による真の愛情と、その実行である。私はこれをモットーとして 、残りの生涯をこのことの為に費やし尽くしたい。読者諸君、心を合わせてこ のことをやりぬきましょう。出来る事だ。盲人でも出来る事だ。否、盲人なれ ばこそかえって良く出来るのだと私は信ずる。
鍼の話が大脱線をしてしまったようだが、実は脱線ではないのである。鍼は この偉大な愛の大精神をもって貫徹しなければ、真の名鍼は行えないのである 。この事実を真に悟られる人は、幸せである。そして、必ず良い鍼医さんにな れると、私は確信する。それが、「明鏡止水」という悟りの境地である。「明鏡」 とは、明らかな鏡で、すなわち微塵の悪念邪情をとどめないばかりでなく、真 実の愛情の照り輝く魂の有様である。「止水」とは、水が止まるという文字。 水は神様からの不思議な御力である。そのくすしい御力が不即不離の有様で、 その人の明鏡のように澄みきった心に止まるという意味である。もちろん、明 鏡が微塵でも曇を現せば、そのくすしい不思議な神の力は瞬間にして去るほど の微妙な関係を明鏡と止水は持っている。極めて霊妙不思議な生き生きした活 溌溌地の妙関係を持っているというよりも、人格的情緒の纏綿たる有様である と言えるであろう。
私は鍼をする心は、真にして神に通ずる、すなわち「鍼は真にして、神に通 ずる。」と、よく思わされるのである。真実の心を持っていない人に本当の鍼 は出来るものでない。それはどんなにたくさんの患者を門前市をなす如くに集 めて、俗人から名人のように持て囃されてみても、神の御目からは全くインチ キのペテン師としか見えないであろう。そんなものは、まるで空を飛ぶ浮雲の ようなもので、しばらくにして影も形も消え失せてしまうであろう。永遠に消 えないものは、真実の愛情のみである。それが、限りなき生命である。我々の 鍼をして、かくあらしめたいのである。
[平方龍男著「鍼の刺し方について」(昭和29年2月発行)より引用]